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LogBook for Narikawa

エッセイを書いたり、描いた絵をのせたり。

席替えして憂鬱になるなんて、小学生か

   先日行われた席替え。2年生に進級して初めての席替えです。

 

   1年生の時は一度だけ席替えがあったのですが、席のクジを引いたら、そのときの席と同じ番号を引き当ててしまったのです。

   それにより、1年生のあいだはずっと同じ席でした。あの席は気に入っていたので、よかったはよかったのだけど。

 

   で、思えば入学以来初めて席が変わったわけなんですが、はっきり言って最悪でした。

   場所はそれなりに申し分ないのだけど、その、相席のやつが。

 

   僕のクラスでは、横長のテーブルを2つ繋げて、それを4人か3人で共有しています。30余人のクラスメイトが、そうしていくつかのテーブルに分かれているわけ。

 

   すると、同じテーブルの住人が2人か3人いることになります。

 

   僕の場合、2人います。1人は話したことのない女子だからまあどうでもいいのだけど、もう1人が僕にとって最悪。

 

   そいつは教室内不真面目ランキング男子部門第2位の男。第1位の男を含め、常に6〜7人くらいの男子が固まっています。

   それはそれでいいんだけど、問題は授業中にもそれが発生すること。友達の様子を見に、平気で席を立つのです。

 

   第1位のやつなんかは、授業中にこっそり携帯のゲームをやって、見つけた先生に、次やったら欠席扱いにすると言われた男。

   問題の第2位のやつは、1年生のときに午前中の授業を遅刻しすぎて、どうやって単位を取ったのかわからない男。

   その他、いろいろ自由すぎる男。

 

   ほんとにね、僕みたいな自他ともに認める真面目くんは、ああいうの大嫌いでね。学費の重みがわかってない人というか。

   実をいえば、高校のときは僕もまんまあんな感じでした。いまの僕と同じ感じだったT君はみんなからうざがられ、特にやりたいこともなかったそいつは職業訓練校にいったとか。彼に関しては、いい未来が思い浮かばない。

 

   いまや逆の立場、僕がうざがられる方なわけだけど、でも高校と専門学校(大学もそうだけど)とでは状況が違う。

   高校の勉強なんて大学を受けるやつだけがやればいいんだから、サボるならサボるで、他にできることややりたい勉強があれば、単位さえ落とさなければいいと思うんだけど、専門学校や大学で同じことをするのはほんとに学費の無駄だと思うんだよな。

 

   ほんとに、逆になっているわけ。義務教育や高校のときは、上手にサボった人が上手くいく。

   大学や専門学校は、誰よりもがんばったひとが上手くいく。

   つまり彼らは、高校生気分が抜けていないのだと思うのです。そんでもって就職してからは、学生気分が抜けていないと思われるに決まっているのだ。

 

   今年の僕の(一番小さな)目標は成績オールA。誰よりも課題と制作に真剣に取り組む所存です。

   ところが、男子女子含め、同じようなやる気のある人がどれだけいることか。

 

   ほんとに、学校に居場所がない。

   そのうえ、席替えをしたら目の前には不真面目を絵に描いたようなのがグデーンとしていて、彼は1年経ってもまだ午後の授業が何時に終わるか覚えていない。午後の授業が座学のときは、大抵寝ている。

   そりゃラーメンなんて食べたら眠いよ。すごく糖質が多いもん。午後の授業を快適に受けることよりラーメンを食べることの方が大事な人とは、仲良くなれないな。検定いくつ受かってんのかな、あいつ。

 

   とにかく、せっかく楽しくなりそうだった学校生活に、はやくも暗雲が立ち込めています。

   正直、テーブルをくっつけるよりも、検定を受験するときみたいな講義形式の方がいいな…。

 

   張り合いがなくて、ほんとに辛いよ。

 

   

制作記録3日目

2つのアラベスクを、CDケースの裏表で表現するアイデアを検討。

 

そうなると、No.2の場合は少し余白を多めにとらなければならない?

 

また、構図も新しいものを検討。

 

ただ、両方のアイデアを詰めるための、まとまった時間がほしい。昨日やればよかった。

週末に根を詰めてやることになるかもしれない。

制作記録2日目

媒体を想定するうえで、クラシック曲のCDジャケットのイラストを考える。

 

曲をえらび、アラベスクモーツァルトのセレナーデなどを検討する。

チョイス応募作品制作記録1日目

選者のたむらしげる氏の求める作品像(独自の世界観云々)を考慮し、軽くアイデアを練る。

 

同時にイラストレーション誌188号の、中村佑介氏のチョイス総評を読み、自分なりのイラストレーションというものへの問いや考えを意識する。

 

最初は軽く、メビウス的な、地平線と不可思議なモチーフによる、世界観と物語の構築を模索。

 

本日をもって、チョイス応募作品制作1日目とする。

完成したらこいつをね

                      f:id:inarikawa:20170414133101j:image

 

   サボってたというわけでもないけど、しばらく間の空いたデッサン記録。

 

   丸いものが苦手とわかり、基本中の基本であるところの円筒形のモチーフ。

   絵を描かない人にはいっさいわからないものだけど、これはフィキサチーフという定着液のスプレー。

   鉛筆やパステルなどは、擦れてしまうデリケートな画材なので、完成したときの状態を保つために吹きかけるものです。

 

   デッサンが完了すると、毎回最後にこいつをかけるのです。

   記事の更新ボタンを押すような、最後の最後にする作業。

 

   図らずも、実物とまったく同じサイズになりました。

   今日も40分やったわけですが、形をとるだけでそれなりに時間かかりますね。

 

   丸い形というのは歪みがわかりやすすぎるし、キレイに形を作るのにはそれなりに技術がいる。

   ほんとにデリケートなモチーフですね。明らかに四角いものより難易度が高い。

 

   とにかく今後はこいつです。学校が始まるから、両立することになる。ちゃんとできるかな?

モーニングホラー

  ああおそろしい。

 

  3時半に目が覚めたぼくは、おそろしい夢を見て打ち震えておりました。

 

   どんな夢かというと、高校1年のときにバイトしていた店で、四年ぶりにバイトする夢。

   新人の世話役みたいな社員のKさんがまだいて、久しぶりに会話して……というもの。

 

   店内の様子とか仕事内容とかは、夢だから現実と比べると支離滅裂なんですけど、実感としては、またあの店の従業員スペースにいるという気がして、それだけはすごく強烈でした。

 

   最近までしていた別のバイトをやめてすぐの頃も、何回かバイトの夢を見ました。

   しかし今朝のはそれよりもずっと怖かった。

 

   なぜなら、夢の中では「仕方なく」「必要に駆られて」またバイトを始めていたから。

   これほどまでに生々しいと本当に心臓に悪い。夢とはいえ、なんでよりによって一度働いたあの店で…

 

   バイトに関してはいい心持ちがしないですね。今は何もしてないのですが、今後もやりたくないな。

 

   「雇われる」っていうこと自体、環境によって左右されますからね。

   環境や人によっては、苦痛や屈辱になるでしょう。

 

   なんだか最近は、夢だとわかって安心するような夢をしょっちゅう見ます。

   現実こそ正義。夢なんてろくなもんじゃない。

アートが好きじゃないんですよ

 春休みの課題に、春休み期間中に開催されている展覧会やギャラリーでの個展のレポートをかけ、というのがあります。

 

 ぼくはこれ、本当にくやしい。なにがかというと、去年行ったビアズリー展や江口寿史展の方が、いいレポートが書けただろうから。でもこの課題は、春休み期間中に開催されているものに限られているのです。くやしいなあ。

 

 ぼくはほんとうに、アートに興味がないのです。デザインやイラストレーションは大好きだし自分もやってるんですが、アートは本当に良さがわからない。

 アートとイラストレーションの違いを、専門的に美術を勉強していてなおわかっていない人もいますが、何が違うって目的が違うんです。

 アートは「私はこういういいたいことがある」というものだし、デザインやそれに付随するイラストレーションは、「みなさんこれはこういうものですよ」というものです。

 「自己表現」と「販促・解説」の違いとでもいうのか。

 

 その上で、アートのもつパーソナリティがあんまり好きじゃないんですよ。基本的に人間は好きだけど、個人個人にはなんら興味がないので。

 人類学や社会学の本は好きだけどエッセイやブログには興味がない、みたいな。

 

 だから、「私はこんなことを言いたい」とか「私はこんなことを感じた」とか、そんなことを絵で訴えられても、それは目的に合わせて設計されたイラストに比べて社会的価値がなさすぎると思うんです。

 あまりに個人的すぎて、「だからなに?」と思ってしまう。

 

 ちなみにぼくが見てきたのは「原安三郎コレクション・広重ビビッド」です。全国をまわってる歌川広重の作品展です。

 結論としては面白かったけど、それは飛び抜けた表現力や画力を持った作品だからであり、ぼくが絵が好きな人間だからであり、絵を学んでいる人間だからです。

 

 ぼくはフランスのイラストレーターが好きなんですが、彼らは日本の浮世絵から影響を受けていました。なので、自分の好きな作家のさらにその源流を見たかったという目的を持って、広重ビビッドを見に行ったのです。

 

 専門的な知識を集めている人間だからこそ面白かったわけなんですけど、でも所詮あれはアートなんですよ。存在してる理由がないものなのです。

 

 浮世絵が描かれていた時代には、素早い連絡手段も写真もなかったわけだから、広重の描いていたような風景画には今以上に価値があったのです。しかし今は、主に写真によって、時代を重ねるごとにアートは存在価値を失っていったはず。

 

 デザインやイラストは、アートを大衆に迎合させたものなのだから、絵画技法であったり色彩感覚であったり、そういったことについては学ぶところがあります。

 しかし、それはぼくのような画学生にとってのみ有用なのであって、大多数の絵については何にも知らない人々からすればほんとにどうでもいいじゃないですか。

 

 今日は日曜日ということもあって観客がわりと混雑していたけれども、正直彼らがなんで見に来ていたのかわからない。

 アートって、ほんとになんのためにあるんだろう?絵を描いてるわけでもなんでもない人にとっては?

 

 

 あまりに個人的すぎるものが嫌いと言いながら、こんな誰でも見れる場所に自分の言いたいことをつらつら書いてるというのも矛盾してるけど……まあ誰も読んでないし、読まれることを前提としたものではないし……。