LogBook for Narikawa

エッセイを書いたり、描いた絵をのせたり。

アートが好きじゃないんですよ

 春休みの課題に、春休み期間中に開催されている展覧会やギャラリーでの個展のレポートをかけ、というのがあります。

 

 ぼくはこれ、本当にくやしい。なにがかというと、去年行ったビアズリー展や江口寿史展の方が、いいレポートが書けただろうから。でもこの課題は、春休み期間中に開催されているものに限られているのです。くやしいなあ。

 

 ぼくはほんとうに、アートに興味がないのです。デザインやイラストレーションは大好きだし自分もやってるんですが、アートは本当に良さがわからない。

 アートとイラストレーションの違いを、専門的に美術を勉強していてなおわかっていない人もいますが、何が違うって目的が違うんです。

 アートは「私はこういういいたいことがある」というものだし、デザインやそれに付随するイラストレーションは、「みなさんこれはこういうものですよ」というものです。

 「自己表現」と「販促・解説」の違いとでもいうのか。

 

 その上で、アートのもつパーソナリティがあんまり好きじゃないんですよ。基本的に人間は好きだけど、個人個人にはなんら興味がないので。

 人類学や社会学の本は好きだけどエッセイやブログには興味がない、みたいな。

 

 だから、「私はこんなことを言いたい」とか「私はこんなことを感じた」とか、そんなことを絵で訴えられても、それは目的に合わせて設計されたイラストに比べて社会的価値がなさすぎると思うんです。

 あまりに個人的すぎて、「だからなに?」と思ってしまう。

 

 ちなみにぼくが見てきたのは「原安三郎コレクション・広重ビビッド」です。全国をまわってる歌川広重の作品展です。

 結論としては面白かったけど、それは飛び抜けた表現力や画力を持った作品だからであり、ぼくが絵が好きな人間だからであり、絵を学んでいる人間だからです。

 

 ぼくはフランスのイラストレーターが好きなんですが、彼らは日本の浮世絵から影響を受けていました。なので、自分の好きな作家のさらにその源流を見たかったという目的を持って、広重ビビッドを見に行ったのです。

 

 専門的な知識を集めている人間だからこそ面白かったわけなんですけど、でも所詮あれはアートなんですよ。存在してる理由がないものなのです。

 

 浮世絵が描かれていた時代には、素早い連絡手段も写真もなかったわけだから、広重の描いていたような風景画には今以上に価値があったのです。しかし今は、主に写真によって、時代を重ねるごとにアートは存在価値を失っていったはず。

 

 デザインやイラストは、アートを大衆に迎合させたものなのだから、絵画技法であったり色彩感覚であったり、そういったことについては学ぶところがあります。

 しかし、それはぼくのような画学生にとってのみ有用なのであって、大多数の絵については何にも知らない人々からすればほんとにどうでもいいじゃないですか。

 

 今日は日曜日ということもあって観客がわりと混雑していたけれども、正直彼らがなんで見に来ていたのかわからない。

 アートって、ほんとになんのためにあるんだろう?絵を描いてるわけでもなんでもない人にとっては?

 

 

 あまりに個人的すぎるものが嫌いと言いながら、こんな誰でも見れる場所に自分の言いたいことをつらつら書いてるというのも矛盾してるけど……まあ誰も読んでないし、読まれることを前提としたものではないし……。